IoTは置いてけぼりにされた彼らを復活させるための呪文
IoTは車輪の再発明ばっかだね、って言ってる人がいた。
IoT、いわゆるユビキタスコンピューティングみたいなことと一見似ていて、あまり良く知らないけど各社それぞれ思惑があって今までのユビキタスコンピューティングとは違うということらしい。
とはいえ、観察している限りだと、Arduino->(シリアル通信でパソコン)->インターネットとなっていた経路が直接つながったりするだけのようにも見えるし、XBeeとか使えばモノ同士の通信なんかも出来たわけで、やろうと思えばいくらでも出来てきたということだと思う。Makeに行けばそれっぽいことをしてる人は見れた。ネットに繋がってすごい! で終わってたけど。
IoTっていうのは、今までのそういう知見とかをまた現代に持ってくるために作られたワードなんじゃないかと思う。置いてけぼりにされた彼らを復活させるための呪文なのではと思う。つまりこの2014-2015年に出てきたというのが大切なんだと思う。
ユビキタスコンピューティング、僕が小・中学生とかの時に話題になってた気がして、なんかすげーなーとか思ってた(実際はもっと前からアイディアはあって色々研究もされてるっぽい)。ソニー・エクスプローラサイエンスとか小学生のころ遊びに行ったりとかしてたけど、そういうところでも解説が載ってたし、愛知万博とかでもなんかそういう感じの話はあったと思う。米粒チップで認証できるってのは当時中学生だった僕はマジで感動した。
その頃にはiPhoneもなかったし、僕はMacBookを持っていなくて、Twitterもまともに有名ではなく、みんなガラケーを使っていて、写真が撮影できてとにかくスゴい、ドコモはなぜかめっちゃ頑張ってビデオ通話しようとしてるみたいな世界観だった気がする。みんな頑張ってもがいてた感じがある。LINEもなく、メーリングリストが使えればすごかった。Wikipediaもそんなに有名じゃなかった。
2014年。様々な人が常時つながってて、センサも安くなり、どんどんモノが小型化されていった。膨大に増える情報を扱うための技術も少しずつ整ってきた。映像をコンピュータに食わせるとどういう映像なのか分かるようになってきた。コンピュータに判断させるってことができてきた。
それで、そろそろ社会でもそういうことが出来るようになってきましたねってことだけど、今更ユビキタスコンピューティングとか言ってもはいはい、みたいになる。それよりかは、もっとバズるキーワード作って、それでワイワイやったほうが良いんだと思う。そうすれば社会的な問題も取り組まざるを得なくなるし、よしやっていくぞという気持ちに世界がなる。
IoTにつづいてWoTとか言ってる人もいて気になる。多分それぞれ思ってることが違うので色々な話を聞いてみたい。社会の雰囲気知って合わせることも大事かもしれないけど自分が楽しいなと思うことをやってたい。
あ、個人の意見です